■ 境内案内

霊松寺は、功徳林大洞山霊松寺と号し、慶永11年(1404年)に信濃国では最初に開かれた曹洞宗寺院です。
實峰良秀禅師を開山、仁科郷領主・仁科忠盛公を開基として開かれました。
平成16年に開山600年を迎えた古刹です。
それでは、霊松寺のご案内をいたしましょう。

本堂

廃仏直後の建立。達淳和尚の苦労が偲ばれます。
間口12.5間、奥行13.5間。面積167.8坪。

庫裏

善光寺地震後、嘉永年間の作。
間口10間、奥行20間(200坪)、屋根坪600坪。
600年記念工事にて屋根塗装改修。
たたき土間と、大きな梁が見事。こんなに大きな建物を如何にして建てたのでしょうか?

山門

嘉永5年建立。藤森広八政因(まさより)代表作。
明治初年、廃仏毀釈で廃寺となった松川村観勝院より解体移動されました。
明治11年霊松寺境内に移築。地形・伽藍配置により東向きから南向きへ90度回転され再建されました。上層蛙股内の十二支が、90度ずれていることが、その証拠です。
平成5年8月12日長野県指定有形文化財(県宝)に指定。
大正2年屋根ふきかえ、昭和46年トタン葺きに改修。平成16年茅葺に改修。
暖かみのある曲線は日本建築の粋と言えます。

総門

江戸末期の作、今回改修復元いたしました。

鐘楼

600年記念事業として新築。総ケヤキ造り。
梵鐘直径4尺(120cm)、重さ2.5t。
長野県下一の鐘楼です。住職は、世界の平和を祈念する気持ちを込めて建立いたしました。
この梵鐘を作る発願文(ほつがんもん)は、次の通りです。
 願わくは、釈尊の御声 普く世に響きわたり
 我ら人類 利他 布施行に目覚め
 国家・宗教・民族の相違に起因する
 全ての争いを思い止め、
 一切衆生、相い慈しみ
 世界平和・万邦和楽の緑輝く、佛国土たらんことを
参拝者どなたでも平和を祈って撞いて下さい。
(注意事項):連打はしないで下さい。1分ほど時間を空けて撞いて下さい。

オハツキイチョウ(天然記念物)

イチョウは、中国原産の雌雄異株木です。朝鮮半島経由にて日本に渡来しました。葉が厚く、燃えにくいため、火難除けの意味も込めて、社寺庭園木となったと考えられます。
中国では、「鴨脚」(Jacian)と、呼び、ヤーチャオ→イーチャオ→イチャオが、訛って、日本ではイチョウと呼ばれる様になりました。
霊松寺のオハツキイチョウは、厳しい気象条件等により先祖帰りの形を取った珍しいイチョウです。
葉に銀杏様の物を宿すもので、葉の約一割程度がこの形を取ります。
子宝お守りとして持ち帰る方が多勢いらっしゃいます。